難病を抱える子どもを育てる家族には、子どもに必要なケアや治療を提供するために、専門家並みの知識や技術が求められることがとても多いです。
親である私たちも「子どもを守るために、自分が一番頑張らなければ」と強く思い、子どものために何でもできるようにならなきゃいけないという気持ちに駆られてしまいます。
私自身も子どもが小さいうちは、本当に必死でした。
とにかく、できることは何でもしないと!と、かなり気を張って生きてたなぁと思います。
そんな、緊張感のある子育てのスタートでしたが、子どもの成長や変化に敏感に気づき、子どもが見せる小さな喜びや心配を共にして寄り添っていく毎日に、子どもがますます愛おしく、かけがえのない存在となっていったと感じます。
そんなことから、難病の子を育てる親は、その子を「誰よりも愛し、信じる専門家」だと私は思っていたりするんです。だからこそ、親は親でいてほしいし、他の何者かになろうとしなくてもいい。だって、あなたはもうすでに、世界でたった一人のお子さんの「親」であるのだから。
もちろん、医療やケアの知識は必要です。でも、その重責をすべて自分で背負い込む必要はありません。
私も難病児・医療的ケア児の親として、子どもを守るためには専門家ばりの知識や技術も必要だ!と過剰に力が入っていたこともあります。(もちろん、それによるやらかしもたくさんあります💦)
でも、親として、家族としての本質は愛情を注ぎ、子どもと一緒に生きる時間を大切にすることだと思うんです。専門家はお仕事の都合で変わることはあるけれど、親であること、家族であることは基本一生変わらないし、代わりはいない。だったら、子どもを「愛し、信じる」という部分を誰にも負けないくらい全うするのもすごく素敵なことではないでしょうか。
難病のお子さんとそのご家族が、医療や福祉、教育、などなど、様々な分野の専門家にたくさん頼って、家族で「親子」の時間をたくさん楽しめたらいいなぁと思っています。
親が「わが子の専門家」である理由
親というものは、日々の中で子どもの微細な変化を見逃さず、その子にしかない個性や体調の傾向を理解しています。
それは、「わが子の専門家」としての大切な役割です。
しかし、それは医療的な専門知識を持つという意味ではなく、家族としての愛情と絆が何よりも重要であるということだと思うんです。
親がわが子を深く知っているのは、愛情からくる直感や日々の観察の賜物です。この部分こそが、どの専門家にも代わることのできない、親にしかできないことです。だからこそ、親には、わが子の一番の応援者であることが何よりも大事な役割であることを忘れないでほしいのです。
専門家に頼ることの意義
難病の子どもを持つ親として、「私が頑張らなくては」という思いは、常に頭のどこかに存在するものです。ほかの何をおいても、子どもの命や安全を守ることが最優先事項になりますので、ケアの細かい手順や医療的な処置が増えるたびに、家族は「もっと学ばないと」「自分がやらなければ」と、どんどん自分に負担をかけがちです。
でも、子どもが小さいうちは、私は子どものことを誰かに任せる、ということができませんでした。たとえそれが専門家であったとしても。
子どものことは自分が一番わかっているという自負もあったし、自分以上の注意深さで、何を犠牲にしても24時間子どもを守ろうとするなんて他人にはできないだろうと思っていました。
でも、その結果、親である私が全てを抱え込んでしまったので、いろんなところに無理が生じてきちゃったんです。あんまり健全とは言えなかった。
そんな経験も経て、必要なところでは素直にプロの手を借りよう!って感覚を持てるようになりました。子どもにとって最善のサポートを得るためには、専門家との協力体制を築いていくことがとても大切だからです。
ここで重要なのが、家族はあくまで家族であるべきで、医療やケアのプロフェッショナルには、適切なタイミングで頼るべきだということです。家族はほかの何者にもならなくていい。
例えば、医療の専門家は最新の知識と技術を持っており、プロの力を借りることで家族としての大切な役割をしっかり果たす余裕が生まれます。
親が専門家と協力し合うことで、子どもにとっても家族にとっても、より健やかで安心した生活が送れるようになるのであれば、積極的に活用したいもの。
専門家のサポートを受けることは、家族としての役割を補完するものであり、親としての価値を減らすものではありません。ほんとこれだけは声を大にして言いたい。(なんなら昔の私にも伝えたい)
もちろん、親としての観察力は、難病を抱える子どもの特性を理解する上で不可欠です。
だからこそ、それを専門家と共有しながら、みんなで子どもを見守っていくことができれば、もっといいですよね♪
専門家だけど、専門家として動けなかった話
少し私の話をしたいと思います。
生後10か月でNICUを退院した次男は、退院後に運動経験の遅れを取り戻すべく、リハビリ(理学療法)に月1回評価を兼ねて通うことになりました。
月1回は少ない!と感じるのですが、小児の在宅では割と普通な頻度らしく、回数を増やすことはできませんでした。
私は次男の出産前までリハビリの仕事をしていたので(私は作業療法士です)、担当の方とも相談して、家での訓練メニューをしっかり組んでもらいました。その内容を毎日少しずつ練習することで、回数の少なさを補うことにしていたのです…が、スケジュール通りにはほとんどできませんでした。
リハビリから家に帰ってしまえば、もう「生活」が始まります。
子どものケアも当時は24時間分刻みで行っていましたし、その合間をぬって通院したり、家事をしたり、長男の世話をしたり。まとまった時間が取れなかったんですね。
せめて10分でも…と、時間を作って、いざ!って時には、次男が眠っていたり、注入中だったり。そんなことを繰り返していると、私の方もついうっかり忘れてしまうんです。
「やらなきゃ」⇒「でも、できてない」っていうことがすごくストレスでした。
子どものためにやらなきゃいけないのに、できていない自分。
私のせいで次男の動作獲得の機会が遅れているかもしれないという恐怖。
リハビリの専門家として仕事をしてたのに、子どもに役立てられていない悔しさ。
焦りとか不安とかが大きくなってしまって、できない自分を責める。
とにかく悪循環でしたね。
そんな時に「母親は毎日の生活を回すだけで精一杯でしょ。リハビリは家族以外に任せた方がいいよ」と、言ってくれた人がいて、なんかそれがストンとおなかに落ちたんですよね。
そこから、少しずつ訪問看護師さんにも動作の練習を手伝ってもらったり、「リハビリ」に捉われず遊びのなかで体をたくさん動かしたりするように方向転換しました。
そしたら気持ちも楽になったし、親子で楽しんでいるうちに発達も追いついてきた。
ああ、「専門的な関わりを」って捉われていたのは私だったんだなぁ…と気づかされた出来事でした。
家族が「家族」でいるために
難病児の親が心身ともに健康でいることは、子どものケアにおいても非常に重要です。
だからこそ、家族は無理をして「専門家」になろうと医療やケアの内容を理解・習得しようとするよりも、愛情深く子どもを支えながら、プロの力を借りることも必要だと思います。
医療をはじめ、様々な分野の専門家に頼ることは、家族としての役割を放棄することではなく、逆に家族としての愛情を最大限に注ぐための方法だと捉えてみるといいかもしれません。
医療やリハビリ、心理的なサポートなど、専門家はそれぞれの分野で培った知識や技術を持っています。その力を借りることで、私たち家族はより良いケアを子どもに提供できるのです。
子どもにとっても、親が自分のすべてを犠牲にして何とかしようとする姿は、時にプレッシャーに感じたりすることもあるかもしれませんね。
親自身が専門家に頼ることで、気持ちに余裕が生まれて笑顔で子どもと接することができるようになると思いますし、子どもも「誰かに頼ってもいいんだ」というメッセージを受け取ってくれるんじゃないかとも思っています。
そしてそれが、長い目で見たときに、家族全体の幸せにつながると私は信じたいです。
家族がただ「家族」として、愛情を注ぎ、子どものサポートに専念するためにも、選択肢の1つとして常に専門家の助けを心に置いておく、というのもいいのではないでしょうか。
まとめ
難病の子を育てる親は、日々のケアと医療的な知識に圧倒されることがありますが、何よりも大切なのは、家族は「わが子の専門家」でありながらも、子どもを愛し、信じて応援する家族でいることではないかと思っています。
私たちの役割は、愛情を持って子どもを支えること。そのために、必要なときには専門家の助けを得ることが大切です。
私は難病を抱えた子どもの未来にも、もっともっと希望を持ちたいと願っています。
その希望を現実にするためには、私たち親だけが頑張るのではなく、周りにいる専門家の助けを受けながら一歩一歩進んでいくことが大切です。
そうは言っても、専門的な知識や技術が必要になる場面もあるかと思います。
でも、根本のところでは、親は親でいてほしい。
他の何者にもなろうとしなくていい。
だって、既にあなたはもう、その子にとっての100点満点の「親」であり「家族」だから。
だからこそ、家族の未来を明るくするために、専門家と協力し、信頼し合いながら歩んでいきましょう。
そして、親であるあなたが感じる不安や負担を軽くし、子どもと共に笑顔でいられる毎日をみんなで作っていきましょう。