はじめまして!
ご訪問ありがとうございます。
このサイトを運営している國友みゆきです♪
難病児きょうだいを(一人は医療的ケア児)育てています。
以下の記事で簡単に家族紹介をしておりますが、
こちらでは少し違った角度で自己紹介したいと思います^^
自己紹介
ちょっと長くなりますが、よかったらお付き合いくださいね。
作業療法士として10年医療現場に
子どもが医療的ケア児となる前は、総合病院で作業療法士として10年間働いてました。
作業療法士というのはリハビリテーションの専門職の一つで、様々な作業や活動を通して対象者の「自分らしい生き方」を支援する仕事です。
入職してからは急性期、回復期、生活期、訪問リハビリと一通りの経験を積ませていただきました。
作業療法って、奥が深くて面白い。
きっと私は、この仕事を形を変えながらでもずっと続けるんだろうな。
なんとなくそんな風に思っていたのですが、仕事を辞めざるを得ない状況が突然訪れたのです。
医療的ケア児となった次男
次男の出産~NICU退院まで
次男を身ごもり、妊娠8か月目の検診で逆子を指摘された夜に、急な陣痛に見舞われました。
「まだ早い!もう少し頑張って!」と祈るような思いで産院に駆け込みましたが、既に赤ちゃんが足から出はじめており、出産を止めることはできない状況に。
NICUのある病院に救急搬送が決まったものの、市内の病院はすべて満床。
なんとか市外の病院で受け入れてもらえることとなり、緊急帝王切開となりました。
出産後は顔も見れぬまま、NICUの保育器へ入った次男。
たくさんの電極やチューブにつながれて、一人保育器で眠っている次男を見て、私は声を上げて泣きました。
命があって本当によかった。
でも、こんなに小さく生んでしまって、ごめんね。
いろんな気持ちがぐちゃぐちゃになって、入院中は泣いてばかりでした。
時間の許す限りNICUで過ごしましたが、保育器のガラスに隔てられて、かわいいわが子を抱っこもできず、おっぱいもあげられない。見ていることしかできない。
とても辛かったです。
数日後、後ろ髪をひかれながらも一足先に退院した私は、それから毎日、高速道路を使って片道1時間かけてNICUに通い、家では2時間ごとの搾乳、1歳の長男のお世話と、妊娠中には考えもしなかったような生活が始まりました。
身体的にも、精神的にも、疲れ果ててボロボロでしたが、ほんの数時間でも次男の可愛い顔を見るのが楽しみで、次男が入院していた10か月間、一日も欠かさず通いました。
幸い体は順調に大きくなり、呼吸器もすぐに外れたのですが、いつまでたっても挿管を外すことができず、検査を重ねて分かったのは「気管軟化症」という症状があるということ。
「家に連れて帰るためにはこれしかない」と医師に言われ、かなりの逡巡の後、気管切開のオペを決意。
次男はいわゆる「医療的ケア児」と呼ばれる子になりました。
その後、やっとのことで次男を自宅に連れて帰ることができたのですが、赤ちゃんと離れて過ごした日々は、本当に長く辛かったです。
一番かわいい時期を、そして一番母親を必要とするであろう時期を一緒に過ごせなかった。この体験は私にとって大きな心の傷にもなりました。
退院後は、24時間365日、子どもの命を守るためにつきっきりのケアが始まりましたので、当然、仕事などできるはずはありません。
当時は子どものための休職は認められなかったので、退職せざるをえませんでした。
健常児でも障害児でもない、制度のすき間からもれた子
それから数年、そろそろ同世代の子どもたちと一緒に過ごす機会を作りたい。
そんな私の願いもむなしく、障害児でもなければ健常児でもない、「医療的ケア児」の次男は地域から孤立していました。
現存の福祉制度で規定できない子は、保育園にも幼稚園にも行けない。
もちろん療育施設にも行けない。
だから、お友達と関わることもできない。
この子はこのまま、ずっと私と二人だけで過ごすの?
そう思うと、いてもたってもいられず、子どもを連れて行政機関をはじめ、色々なところに相談に行きました。
結果、ほとんど門前払い。
次男には成長の機会も与えられないのかと、愕然としました。
でも、私は絶対あきらめたくない。
親である私が動かなければ、誰もこの子のために本気で動いてはくれない。
そんな気持ちで、仲間を募ったり、市議会で取り上げてもらうための署名活動を行ったり、思いつくことをすべて行い、3年越しでなんとか通園の道が開けたのでした。
その時は「医療的ケア児の保育園受け入れ」という大きな山を一つ、乗り越えられたけれど、子どもの人生はこれからも続きます。
まだまだ医療的ケア児(特に動ける医療的ケア児)に対する支援は圧倒的に足りていません。
子どもたちのため、そしてこれからも生まれ育っていく医療的ケア児とそのご家族が、地域で安心して暮らしていけるように、今後も私なりにできることを考えていくつもりです。
先天性筋疾患の長男
長男は、国の指定難病である「先天性ミオパチー」という疾患を持っています。
先天性、と言っても診断を受けたのは保育園の年長さんのときなので、それまでは「原因不明の筋力の弱さ」としか説明を受けていませんでした。
診断がついてしまえば「あれは、ミオパチーの症状だったのね」と納得できるのですが、その前は長男の症状を目の当たりにするたび、「高齢出産のせいかも」「新生児の時に栄養が足りなかったからかも」などと自分を責めてばかりでした。
でも、いくら私が自分を責めたからといって、長男の病気は治りません。
ミオパチーは全身の筋力低下が目立つ病気。
成長していくにつれて、いろいろな「できないこと」に直面したり、お友達との違いに悩むこともあります。
でも、親である私たちは、一番の理解者、一番の味方でいてあげたい。
そんな気持ちでいつも過ごしています。
そんな子どもたちを育てながら、強く感じたこと
子どもたちは最高にかわいい。
でも、地域や社会で、この子たちを受け入れる土壌は十分ではない。
病気や障害を持っている子たちはまだ十分な社会権を得ていない。
障害児や難病児、医療的ケア児など、生活上何らかの配慮が必要なお子さまを育てている方なら、一度は直面したことがあるのではないでしょうか。
そして、そのことは本人だけではなく、家族みんなを苦しめます。
子どもについての悩みは、ある意味、自分自身の悩みよりも根深くて苦しいものです。
私も、悩みに悩んで体調を崩してしまったり、毎日不機嫌な顔でイライラしたりしていました。
楽しいはずの子育てが辛くて、八方ふさがりというか、慢性的な閉塞感を感じていました。
でも、そんな私を少しずつ変えていったのは、子どもたちの存在。
まっすぐに自分の夢を語る息子たちを見て、こう思ったのです。
障害や病気を理由に、子どもたちが自分の夢をあきらめてほしくない!
子どもたちがやりたいことに挑戦できるように、サポートできる存在になろうと決めたのです。
そうなるためにまず始めたのが、自分の軸を定めること。
コーチングを学び、私自身の考え方の癖や、自分の人生に対する態度などを客観的に見つめていくことで、少しずつ自分の心も変わってくるのを感じました。
今度は、あなたのために
そして、今度は、私自身が「ケアが必要な子どもの母親」という当事者ならではの経験を生かし、配慮が必要なお子さまの育児に悩むご家族の力になりたいと考えました。
もしかしたら、私の3つの強み、
1.作業療法士ならではの総合的な視点
2.当事者としての共感やエンパワメント
3.メンタルコーチとしての知識や技術
がお役に立てるかもしれません。
そして、難病児と医療的ケア児の育児のなかから得られた、日々の生活に必要な実質的な知識や技術なんかを発信していくことで、それを必要としている誰かに届くかもしれない。
そう思ってこのウェブマガジンを作りました。
このサイトの前には、「医療的ケア児ママの手探り育児」というブログで、医療的ケア児の生活を発信していました。そこで評判の良かった記事のリライトも含まれています。
より分かりやすく、お役に立てるような情報をお届けできるように、このサイトを育てていきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。